栗ッピング

旅やグルメの日常をクリッピング(切り取り)

大森貝塚って、大森じゃないのぉ?

大森貝塚遺跡庭園に散策に行ってきた。教科書にも必ず出てくる「大森貝塚」は、誰もが知っていると思うけど、近隣住民を除いて、実際にその跡を訪れた人はそれほど多くないのでは?僕は、以前にも訪れたことがあり、大森と名が付いてはいるが、大田区ではなく品川区にあるのは知っていた。今回よくよく調べてみたら、いろんなことが分かって興味深かった。


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大森貝塚は、大田区それとも品川区論争

JR大森駅のホームに降り立つと、「日本考古学発祥の地」のモニュメントがある。明治初頭に大森貝塚を発見したエドワード・S・モース博士が政府の許可を得て発掘調査を行い、日本古代史の本格的発掘調査報告書を出したことがその由来となっている。大森貝塚は、「貝塚」と呼ばれているが、多数の土器も見つかっており、その土器に付いていた紋様から、モース博士が「Cord Marked Pottery」と名付け、その日本語訳に「縄文土器」が当てられた。「縄文」はここから始まったのね。そのきっかけとなる大森貝塚は、大森駅から徒歩数分。だって大森って名が付いているからね。

大森駅北口を出て、しばらく歩くと大森貝塚の碑のレプリカがあり、そこからビルの横の通路を通り、京浜東北線の線路脇まで降りていくと、「大森貝墟」の碑がある。えっ、「貝墟(かいきょ)」?、「貝塚」じゃないのぉ?

モースが発掘調査を行ったのは、当時の大森村と報告書に記載したため、大森貝塚という名称になったが、東京府から「大井村」(現在の品川区大井6丁目)の土地所有者に土地の補償費として50円を支払った記録が発見され、さらに大田区側からはめぼしい遺物が発見されていないため、現在では品川区側だったことが判明しているとのこと。

昭和4年に大井村に「大森貝塚」の碑が建てられ、翌年に大森村にも「大森貝墟」の碑が建てられた。この頃は、大森貝塚どっち問題で論争だったのかな?「大森貝墟」碑の文字は、理学博士・佐々木忠次郎の筆。彼は、 東京大学理学部生物学科の学生だった明治10年、モースの指導を受けて、発掘にも参加し、ここだったというのが大田区側の地だったとのこと。なんともこの背景にいろんな人間の嫌な部分が絡んでそうではあるが、昭和30年には、仲良く品川区、大田区の両方が国の史跡の指定を受けている。

というわけで、大田区側には、大森貝墟碑のみ建っており、品川区側に遺跡庭園が整備されている。ただ、駅からは、圧倒的に大森駅が近いし、本当に両区の境にあるので、大森貝塚としてある方が、一般的には行きやすいね。間違えて大井町駅で下車するととんでもなく歩くことになるよ。(笑)

 

モース博士は、本当に第一発見者?

モース博士は、大森貝塚の発見で考古学者かと思いきや、動物学者。博士は、明治10年、日本近海に生息するシャミセンガイなど腕足動物の研究のため来日し、明治10年6月19日、横浜から 東京に向かう汽車の窓から貝層を発見したのとのこと。車窓から発見したということは、貝層は剥き出しになっていたんだよねえ。他の誰かがすでに気づいていそうと思いきや、モースより先に発見し、発掘調査も行っていたと主張する人がいた。ハインリヒ・フォン・シーボルト(フィリップ・フォン・シーボルトの二男)とエドムント・ナウマンだ。誰が第一発見者かということで熾烈な争いがあったらしく、特に帝国大学の後ろ盾があったモースが名誉を独り占めにするために画策したとの記録もある。こちらに関しては、下記記事が詳しい。

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いろんなドラマがあったのねえ。そして、人間って今も昔も変わらないのねえと思ってしまう。ただ、その後のモース博士が日本の文化財を保存・研究してくれたのは素晴らしいよね。

それにしもて、発見者がいずれも外国人だったなんて、その時、日本人は何してたね?まあ、普段から見慣れている光景だと逆に気づきにくいのかもねえ。

 

大森貝塚遺跡庭園

大森貝塚があった場所は、現在、大森貝塚遺跡庭園として整備され無料で公開されている。傍目には、普通の公園だ。ここから出土した貝殻、土器、土偶、石斧、石鏃、鹿・鯨の骨片、人骨片などは、すべて東京大学博物館の所蔵となっていて、重要文化財に指定されている。

ここには、再現された地層や貝層があり、ほお、発見された時は、こんなんだったのかとしみじみ。

また、こちらには「貝墟」でなく、「大森貝塚」と記された碑が建っている。もちろんモース博士の銅像も。かつてここで繰り広げられた人間模様のドラマに想いを馳せるのはどうだろうか。

 

品川歴史館

遺跡庭園から歩いて5分くらいのところに品川区立品川歴史館がある。最近リニューアルされたようでとても綺麗な施設だ。入館料100円。明治期に発掘された大森貝塚の遺物は、東京大学博物館にある(1980年代に発掘されたもののいくつかは品川歴史館も所蔵しているとのこと)ので、こちらはで別の遺跡からの資料や、品川区全体の歴史が学べる。2階には、モース博士のことが学べるモースコーナーやライブラリーもあった。

当時の暮らしを再現したジオラマで視覚的に学べるのが、博物館の醍醐味だよね。

実際の出土品と説明があるのでとてもわかりやすい。土器の形も用途によって工夫されているのが面白い。

品川宿。海から本当に近かったんだよねえ。落語の「品川心中」とか「居残り佐平次」は、こんなところで繰り広げられていたのかな?

やがて時代は、鉄道へ。

 

歴史館には、小さいけど庭園もあり、書院や茶室もあった。区の施設って、入館料も安いのにかなり楽しめるよね。

www.city.shinagawa.tokyo.jp